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「シーボルト」と、「秀吉の家紋」と、「献名」。

名古屋市博物館で、4月22日(土)から6月11日(日)まで、特別展「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」が開かれる。

シーボルト没後150年記念の企画展で、彼は二度の来日で日本の自然や生活文化を中心とした膨大な数の物品をドイツに持ち帰り、ヨーロッパ各国で日本を紹介するための ※展覧会を度々開いたのだが、この中から厳選した約300点がドイツから里帰りするとのこと。

保存状態が非常に良く、「江戸時代の生活のタイムカプセル」とも呼ぶべき貴重なもの…だそうなので、開催が待ち遠しい。

 ※ シーボルトがヨーロッパ各地で開催した「日本博物館」は、万国博覧会ジャポニズムの流行の先駆けとなる活動となった。

転載・引用:三重ふるさと新聞(平成29年2月23日付)

■「シーボルト

さて、シーボルトをざっと紹介しておこう。

フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト。1796年生れ。ドイツの医師・博物学者。

1823年8月に初来日、鎖国時代の日本の対外貿易窓であった長崎の出島のオランダ商館医となった。

来日した年の秋『日本博物誌』を脱稿、翌年には鳴滝塾を開講し、当時長崎に集まっていた進取の気性に富む秀才たちを門下生とし、西洋医学(蘭学)教育を行った。

また、植物学にも強い関心をもっており、1825年には出島に植物園を作り、日本を退去するまでに1400種以上の植物を栽培し、帰国時にはシーボルト本人と日本の弟子たちのみならず宿泊した宿の主人にまで依頼するなどして集めた植物2000種・植物標本12000点を、インドネシア経由で持ち帰っている。

さらに植物学に関して追記するならば、シーボルトは来日にあたって ※ ツュンベリーの『日本植物誌』(1784) を持参しており、江戸参府の途中愛知県熱田で会った伊藤圭介を長崎に誘い、伊藤の師である水谷豊文が著した『物品識名』と 『日本植物誌』を対照して、日本の植物の研究をしている。

 ※ カール・ペーテル・ツンベルク。スウェーデンの医学や植物学の学者。1743年生まれ。

オランダ船の船医となって世界一周旅行をし、1775年8月に長崎に着いて、その翌年オランダ商館長フェイトの侍医という名目で江戸参府旅行に随行、のちに ※※旅行記を書いて出版している。(江戸中期の日本人の様子がとてもよくわかるそうだ^^)

 

 ※※ ツュンベリー(高橋文訳)『江戸参府随行記』 平凡社東洋文庫(1994)

ドイツに帰国後、ミュンヘンの植物学者ツッカリーニと共同して、1835年より『フローラジャポニカ(日本植物誌)』の刊行を始め、1850年に『日本動物誌』、1854年には『日本』も完成させた。

『日本植物誌』は、彼の死後の1870年に完成している。

転載・引用:wikipedia

■「秀吉の家紋」

「桐紋の「桐」とは、古代中国の神話に出てくる鳥・鳳凰が止まる木とされていて、昔から神聖なものとして扱われていたそうです。

こうした風習が日本にも伝わり、日本でも800年頃から天皇の衣類などに使われるなど、皇室のみが利用できる格式ある紋章として使われていたそうです。

やがて、桐紋は天皇家のみならず有力な武家も使い始めるようになります。

例えば、室町幕府の初代将軍である足利尊氏は、当時の後醍醐天皇からこの桐紋を恩賞として頂いたと言われています。

また、13代将軍である足利義輝は信長にこの桐紋を与えており、天皇家から有力な武家へ、有力な武家からその家臣へ…といった風に、桐紋を使う家は少しずつ増えていったそうです。

秀吉が桐紋を使い始めたきっかけも、信長からこの紋章を頂戴したためだと言われています。

秀吉は、信長の家臣時代は「五三桐」を活用していたのですが…

姓を豊臣と改めた時に「五七桐」を当時の後陽成天皇から与えられたのを機に、用いる家紋を後者に切り替えます。

やがて、秀吉は家臣にこれらの五三桐や五七桐を分け与えるのですが、すると桐紋の希少価値が無くなるので、五七桐をアレンジした「太閤桐」といったものを使い始めるようになります。」

 

転載・引用:「豊臣秀吉の家紋の意味は?政府が使っている理由について!」

歴史をわかりやすく解説!ヒストリーランド

http://history-land.com/

■「献名」

世界共通で生物の種および分類に付けられる名称のことを学名というのだが、表し方を二名法という、属名+種小名で構成している。

例えば、ゴマノハグサ科キリ属の「 桐(きり)」。

学名は「Paulownia tomentosa」で、Paulownia(パウロウニア)が属名、tomentosa(トメントサ)が種小名(しゅしょうめい)ということになる。

引用:「11月8日…今日の誕生花・花言葉

http://blog.wellplannedhouse.com/?eid=1489770

↑ 余談ながら、この花ブログは透湖が作成しました^^

株式会社 ウェル プランド ハウ

http://blog.wellplannedhouse.com/

桐の葉

桐の花

画像:ボタニックガーデン

http://www.botanic.jp/index.htm

種小名 tomentosaの命名者はツュンベリーで、来日時に観察したキリ(桐)を、1784年刊行の『日本植物誌』に、ツリガネカズラ (Bignonia) 属の植物として記載した。

後に、キリ属の学名は、シーボルト と ツッカリーニ によって、1835年の『日本植物誌』に新しく発表された。

その際の学名が「Paulownia imperialis」。

少々難しくなるのだが、同一の種に別々の人物が異なる学名を命名して記載論文を発表した場合、原則として先に発表された学名が有効となる。

逆に、別々の種に同じ学名が命名されてしまった場合にも、原則として先に発表された学名が有効となる。これを「先取権の原則」という。

シーボルトが新たに命名した当時、前述した学名に二名法を使うという考えがすでに固まってきており、少し後の1867年にパリで開かれた第1回国際植物学会で、正式に採用が決定された。

またその規約のなかには「先取権の原則」もあった。

シーボルトが、キリを新しい属として定義したのは間違っていなかったのだが、ツュンベリーの『日本植物誌』にあった 「Bignonia tomentosa」 に対して、本来なら「Paulownia tomentosa」とするべきところを、シーボルトは自身の『日本植物誌』で種小名まで新しく付け直してしまった。

これにはシーボルトなりの理由があって、属名の Paulownia(パウロウニア)は、資金面で援助した19世紀オランダの女王「Anna Paulowna(アンナ・パヴロナ大公女) 」の名を記念して名付けられ、『日本植物誌』を大公女に献上している。

種小名の imperialis(インペリアリス) は「皇帝の」という意味で、これはパヴロナ大公女がロシアのロマノフ王家出身で、エカテリーナ女帝の孫娘にあたることと、日本でも後醍醐天皇以来、皇室や将軍太閤秀吉、大名たちが桐を家紋として使っていた事による。

もしもシーボルトが先人が付けた学名を尊重していたならば、Paulownia tomentosa (Thunb.) Siebold et Zuccarini として、桐の命名者にシーボルトらの名前が残ったのであるが、現在では ※「異名」として扱われている。

 ※ 必要な記述内容と標本を伴って、最初に論文発表された「正名」に対して、それ以外をすべて「異名」と呼ぶ。

参照・引用:「キリ 小石川植物園

http://www.geocities.jp/kbg_tree/kiri/kiri.htm

シーボルトとしては、日本で最も高貴な植物を献名する事で、感謝の気持ちを表したのである。